「人間と石の幸福論」
作 どらぽん
大きな石がありました。
石は考える石でした。
何を考えているのかと言えば、いろんなことを考えていました。
たくさんの人を見ていて、苦しんでいる人、楽しんでいる人、泣いている人、怒っている人。それらの人を見ていて、人間てうらやましいなあと、思って、自分も人間だったら、苦しんだりすのはいやだけど、その分喜ぶことだってできるし、泣くのはいやだし、怒るのもいやだ。でも、その分楽しむことができる。
と、そう思いました。
ある日、大きな石は、人と話すことができました。
「なあ、あんた? 聞こえるかい? 」
そう、大きな石は尋ねました。
人間は驚いて言いました。
「ま、まさか? 神さまですか? 」
「いいえ。ただの、石ですよ」
「石か! 」
人間は、ただの石のくせに、話しかけてきやがって、と怒りました。
そして、本当にいいました。
「ただの石ころが、オレに話しかけてくるなんてバカげてる! 明日にしてくれ」
「分かりました」
石はそう答えました。明日になったら話してくれる。と思って待ちましたが。いつまでたっても、人間は来てくれませんでした。
そして、思いました。神さまと言えばよかったかなと。でも、うそはよくないと、思いました。
それから、数人話しかけましたが、誰も石ころのくせにと相手にしてくれません。
石はきっと、人間なら泣くんだろうなと思うと、しくしく石は泣きました。
人間は石に怒るし、石は泣くしで、しばらくが過ぎました。ある日、石は何となく。手がある気がしました。足もある気がしました。少しだけ、体を動かしました。
ごろん!
石が動いたので、人間は驚きました。
「こら、石! でかい石が勝手に動いたら、迷惑だ! 」
と言ってきました。
石は、「えらい、すみません。もうこれからは、うごきません」
と言うので、人間は喜んで、
「そうか、そうか、もう動かんか」
「動きません。ためしに、少しだけ動いただけです」
人間は楽しそうで、喜んでいるし、石は悲しくて、泣けてきますが、人間がうれしそうなので、石もうれしくなりました。楽しくもなりました。
これが! 楽しい感覚なのかな! 楽しい、喜ぶ、うれしい、気分でいっぱいになる。
石は、ひたすら人間のいつもの心というものを、知りたくてしかたありませんでした。すると、思いました。ごうまんといえる人間に、泣くぐらい悲しいと、それから、楽しい、うれしい、喜びがこみあがる。
幸福だと思えるから、不幸だと、そのつぎの幸福が、とてつもなく、幸福に思えるからふしぎです。
どうしてだろう?
石は思いました。人間たちが、石のことを、神さまみたいだと、いいだしたから、神さまみたいに信じられても困るから、ただの石ころと答えたのでした。
それから、さらに、石は思いました。
そうだ、神さまと話してみよう! と。
「神さま! 神さま! どうかお答えください」
石は思うがままに、神さまに叫ぶように、祈りつづけました。
「神さま、どうして、不幸だと、幸福に思えたりするのが、つまらないものでも、幸福に感じるのか? 人間て、みんな幸福ですか? 」
とか、いくら祈りを捧げ、考え込んでいました。
何年、何十年も、何百年も。何千かもしれない年月を、石は神に祈りました。
その間、石は身動きひとつしませんでした。
しかし、神さまは答えてくれませんでした。
それで、石は人間に尋ねました。
「なあ、あんた。幸福かな? 」
「ええ! 神さまですか? 」
「ちがうよ、ただの石ころだよ」
「そうか、ただの石ころか! 」
石ころのくせに、と、人間は昔と同じように、悪たいを、つきましたが、
「もうすぐ、結婚するんだ。だから、幸福だよ」
「よかったな、幸福でいつまでもな、幸福にな」
「ありがとう。石ころでも、幸福になと。言われたらうれしいよ」
「そうか、うれしいか」
石は、思いました。
人間は幸福なんだと、たぶん。
石は、幸福になる。結婚する。そのたぶん? 幸福な人間を思うと、幸福な気分に包まれるのでした。
おしまい
、
ただの石を主人公において、動かぬ物でも感情を持っている
そんな石ですが、自分の感情を抑えて相手を思いやる童話ですね。
物を大切にする気持ちが私には伝わってきました。
昔から八百万の神が物には宿るといいます。
最後に石は、そんな人間でも幸福に感じる一言で共感して
きっと神様になっていることを気が付いていないなのかもしれないと想像しました。
物には感情を持っているから大切にしないとって考えさせる童話よかったです。
どんな物でも大切に接することの大切さが伝わってきました。有難うございます。